漱石山房記念館をさんぽしてみた

漱石終焉の地にある、漱石山房記念館のあたりに行ってみました。

お庭は無料でぐるりとできる

開館前でしたが、お庭など、外をぐるりと回ることができました。

とても立派な記念館です。

銅像がありました。しゅっとしてますね。

「漱石の散歩道」と題した、とてもわかりやすい地図がありました。

かの有名な猫の墓

猫の墓も見ることができました。

『吾輩は猫である』のモデルとなった、猫のお墓なのだそうです。

十三回忌に建てられましたが、空襲で焼けてしまい、そのあと、また再建したものなのだとか。

お庭には、漱石が育てていた植物が、実際に植えられていました。

その植物が登場する、小説の一節を紹介している看板もあり、とても趣深いです。

芭蕉が、とてもきれいでした。

ところ狭しと植えられていて、管理が大変そうですが、どれもとても元気に育っていました。

静かに佇んでいる記念館

路地裏の、とても閑静な住宅街のなかにありました。

この地で、最期を迎えた漱石。
生まれた場所ととても近かったことに、少し胸があつくなります。

今度は、開館時間に行って、記念館のなかに入ってみたいなと思いました。

芥川龍之介の旧居跡と、記念館予定地に行ってみた

1914年、北区田端に引っ越してきた芥川龍之介。

亡くなるまでの13年間を、この地で過ごしたそうです。

今日は旧居跡と、記念館の予定地に行ってみたいと思います。

赤紙いっぱいの阿吽像

不忍通りから道坂下を田端駅方面に行くと、まず東覚寺にたどり着きました。

立派な阿吽像に赤紙が貼られています。

自身の患部に貼ると身代わりになってくれるらしく、こうして赤い紙に埋もれているのだそうです。

一枚一枚に、参拝者の願いが込められているんですね。

童橋を渡ってみた

路地を抜けると小さな橋、童橋がありました。

この下は大通りになっています。

左端に見えるのが童橋です。

その橋のわきには細い道があって、なんだか面白い構造になっています。

河童の絵がいい

さて、やって来ました。

橋を渡り、最初に見えるのは記念館の建設予定地です。

令和8年度の開館をめざしていて、今はクラウドファンディングで協力を募っているようです。

書斎の再現を計画されているとのことで、とても楽しみですね。

そのすぐ先に、旧居跡の看板がありました。

今はマンションになっていますが、看板があるのがうれしいです。

河童の絵に、気持ちが盛り上がります。

文士村記念館の展示がすごい

さらに田端駅のほうに進むと、田端文士村記念館があります。

芥川の住んでいた時代、近くに東京芸大などができたこともあり、田端にはたくさんの芸術家が集まっていたようです。

室生犀星など、芥川龍之介に魅了された人々も多くここに住んでいました。

文士村記念館には、芥川の生涯が貴重な資料とともに丁寧に展示してあります。

しかも、無料です。

前回の展示企画『友情からうまれたもの 文士村の青春アンサンブル』も、とても充実したすばらしい企画展でした。

今は、『作家・芥川龍之介のはじまり~書斎「我鬼屈」誕生までの物語』が、2025年2月2日まで開催されているようです。今度ゆっくり行ってみようと思います。

ゆったりとした田端の空気を、味わうことができました。

夏目漱石のお墓に行ってきました

夏目漱石のお墓は、豊島区の雑司ヶ谷霊園のなかにあります。

東池袋四丁目や都電雑司ヶ谷あたりが最寄駅のようです。

墓地が広い

護国寺の裏手にも墓地があり、最初まちがってそちらに行ってしまいました。

日暮れのころに行ったので、なんとも言えない緊張感がありました。

猫がいたよ

実際は写真よりもうす暗く、墓石の文字もよく見えないくらいでした。

霊園内はとても広くて迷子になりそうですが、グーグルマップを頼りに、漱石のお墓を目指します。

猫がたくさんいました。4匹見ました。

どの猫もとても落ち着いていたので、ここを住処にしているようです。

お墓にはかなり近づいてきたと思うのですが、なかなかたどり着けません。

道が細く、暗いので、けっこうどきどきしました。

ひと目で分かる

ようやくありました。とても立派なお墓です。

お花が供えられています。ちょうどお参りをしている女性もいらっしゃいました。

霊園に入ってから人の姿を見ていなかったので、少しホッとしました。

左端に看板も立っています。
QRコードを読みこむと、漱石山房記念館の「漱石の生涯」のページに飛びました。

いちょう通りを通ればよかった

墓地内をくねくねと進んでようやくたどり着けましたが、結果的に、漱石のお墓はまあまあ大きな通り、いちょう通りのすぐ横にありました。帰りはその道で帰りました。最初からいちょう通りを行けばよかったと思いました。

でも、あの独特の雰囲気も味わえたし、猫にも会えたので、それはそれでよかったです。

何より、お墓の前で手を合わせることができて、とてもしあわせな時間でした。

根津神社の「文豪の石」にすわってみたよ

徳川五代将軍の綱吉が、六代家宣のためにつくったという根津神社。

その境内に、その名も「文豪の石」という名跡があるので、さんぽしてみました。

歴史を感じる空気感

新坂沿いの鳥居からはいります。

なんとも立派ですね。

一歩足を踏み入れるだけで、おごそかな、神々しい気持ちになります。

いきいきとした木々の大きさや豊かさに、圧倒されました。

漱石や鴎外が思案したという「文豪の石」

看板などはないので、気づかずに通りすぎてしまいそうですが、この石が「文豪の石」のようです。

漱石や鴎外が、ここにすわって思案していたとのことです。

石のひんやりとした温度と、ちょうどよい高さが、なんとも心地よかったです。
眺めにも広がりがあり、たしかに心に静寂がおとずれるような、落ち着ける場所でした。

家宣の胞衣が祀られている

胞衣とは、胎児を包んでいた膜や胎盤のことで、「ほうい」や「ほうえ」、「えな」などと読むそうです。

むかしは、それを壺や桶におさめて祀っていたとか。今聞くと少しぎょっとしますが、そうして新生児の無病息災を祈願していたのだそうです。

綱吉の、甥の家宣への想いが伝ってくるようですね。

木々の深さに癒される

この日は、保育園児たちが遊びにきていたり、外国人観光客が参拝していたりと、とてもなごやかな雰囲気でした。

東京大学のすぐ裏にある根津神社。

漱石や鴎外が、怒涛の日々の合間にしばしの落ち着きを得にきていた、大事な場所だったことが想像できました。

夏目漱石旧居跡(猫の家)に行ってみた

イギリスから帰国した夏目漱石が、三年十カ月ほど過ごしたという、千駄木の旧居周辺を散策してみました。

いまは日本医科大学の敷地内に旧居跡があるようです。

うっかり見のがしてしまいそう

白山上から千駄木方面へ452号線をすすみ、駒込学園前の信号を右に曲がります。

そのまままっすぐ行くと、道路沿いの右手にあります。

とてもさりげなく建っているので、前回は気づかずに通りすぎてしまいました。

ちゃんと猫がいる、しかも二匹

石碑の題字が川端康成というところに、まず驚いてしまいます。

引きで眺めると、石でつくられた猫がいます。

けっこうリアルなので、一瞬ほんものかと思いました。

ここで創作を開始して『吾輩は猫である』を書き上げたのだそうです。

二匹いますが、見つけられたでしょうか。

漱石が通ったという和菓子屋「一炉庵」

残念ながらまだ開店前でしたが、小豆を煮ているいいにおいが、お店の外にまでただよっていました。

漱石は「夜雨最中」がお気に入りだったそうです。なんとも抒情あふれる名前ですね。

また、あらためて行ってみようと思います。

「文豪の石」に座って和菓子を食べたい

交差点を直進し、新坂をおりていくと、根津神社があります。

境内には「文豪の石」と名づけられた名跡があるようです。

もしかしたら漱石は、一炉庵で買った和菓子を、石にすわって食べていたのかも、などと妄想がふくらんでしまいます。