春日局のお墓

文京区湯島にある麟祥院。 

三代将軍家光の乳母として、大奥で活躍した春日局のお墓があるとのことで行ってみました。

とても静かな禅寺

文京区のクイズラリーの一箇所でもありました。

ちなみにQRコードは門前の掲示板にあります。

禅寺らしい雰囲気です。境内は無料で拝観できました。

東洋大学発祥の地だった

1887年、ここ麟祥院内に、井上円了が設立した「私立哲学館」が東洋大学の起源なのだそうです。

井上円了といえば、東京大学で哲学を学んだ、日本の仏教哲学者。

「妖怪博士」の異名もある、幅広い分野で活動された方ですよね。

立派な石碑でした。

迷路のような墓地

平日だったせいか、だれもいませんでした。お墓はちと、どきどきします。

墓所の案内図がありました。

墓の四か所に穴が空いている

春日局のお墓に着くと、参拝者がお一人いらっしゃいました。

こういう時、なんとなく会釈をしてしまいます。

「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」

春日局の遺言により、墓の四か所に穴が空けられています。

これだけでも、意志の強い方だったのだろうなと、想像されます。

座禅、ヨガなどのイベントも

麟祥院では、座禅やヨガ、論語塾など、いろいろなイベントが開催されているようです。

静かな時間が、とても心地のよい場所でした。

また、ゆっくり行ってみたいと思います。

湯島聖堂の紅葉がきれいだった

徳川綱吉が孔子廟を移したのがはじまりだという学問の聖地、湯島聖堂。

紅葉の季節になりましたが、どれくらい色づいているのでしょうか。

学問の香りがただよっている

のちに昌平坂学問所となったこの地は、町のなかにありながら、とても文化的な雰囲気のある森でした。

どの門から入ればいいのかわからず、ぐるぐると一周してしまいました。

凛とした空気感

山門に来たかのような空気感です。

古い階段が多く、一度すべりかけました。

そのあと、「すべるのでお気をつけください」という看板を見つけました。

門から見える紅葉が、かっこいいですね。

孔子と楷の木

孔子の像がありました。

写真だとわかりづらいのですが、かなり大きかったです。

迫力がありすぎて、これ以上近づけませんでした。

像の前には、立派な楷(かい)の木がありました。

孔子のお墓には、楷の木が植えられているそうです。

孔子と楷の木には、深いつながりがあるんですね。

木の枝や葉が整然としていることから、書道の「楷書」の語源にもなっているそうです。

たしかに、くねくねとして、独特の雰囲気があります。

門は3か所あった

ぐるりとまわってようやく全貌が見えました。

入口は公園側と、道路沿いと、正門との3か所にあるようです。

ちなみに、文京区のクイズラリーは、正門にあたる仰行門にありました。

紅葉がきれい(11月19日現在)

11月19日現在、紅葉がとてもきれいでした。

紅葉しはじめ、といったところでしょうか。

訪れる人はちらほらで、けっして混んでいるわけではなく、かといって寂しいほどでもない感じでした。

秋にぴったりの、しっとりとした心地のよい場所でした。

旅と暮らしの本屋さん、アンダンテへ

近所にオープンするという書店『旅と暮らしの本屋 アンダンテ』。

待ちに待った当日、さっそく行ってみました!

明るい店内

11月15日10時。

産業編集センターの手がける書店『旅と暮らしの本屋。アンダンテ』がオープンしました。

先着100名にお土産ももらえるとのことで、さっそく午前中に行ってきました。

入口にはたくさんのお花が飾ってあります。半円型の部分が全面ガラス張りで、なかもとても明るかったです。

お客さんも想像よりもずっと多く、とてもにぎわっていました。

店内は、広くもなく、狭くもなく、まわりやすい広さです。

ブックカバーが秀逸

旅の本、暮らしの本、世界の本。

それに関連する食や文化、絵本など、わくわくする本がたくさん並んでいました。

品ぞろえの幅は広いけれど、しっかり選択されているなと感じました。
そういえば、旅の本に特化した書店というのは、そんなになかったなと思ったり。

購入する本を決めて、レジに並びます。

ブックカバーをかけますか? と聞いてくださったので、迷わず、お願いしますと答えます。

書店ごとのブックカバーが大好きです。

このカバーのデザインがほんとうに素敵で、くりかえし使ってしまいそうです。

お土産は読書のおとも

先着のお土産は、ドリップコーヒーとチョコでした。

まさしく読書のおとも、というチョイスですね。

すぐに食べるのはもったいない気がします。

書店が町にずっとあってほしい

近所にできた本屋さん。

老若男女さまざまな方が来られていて、みな楽しそうに本を選んでいらして、これぞ書店の醍醐味といった空間でした。

町の書店がつぎつぎ閉店していく。
寂しいニュースが多いなかで、書店の開店は大きな希望のように感じます。

また、ゆっくり行きたいと思います。

アンダンテ、とても素敵なお店でした。

弥生美術館・竹久夢二美術館の坂さんぽ

今日は弥生美術館・竹久夢二美術館へ、上野動物園のほうから向かってみます。

暗闇坂は、暗くない

その名も「暗闇坂」なので、どんなに暗く急な坂道なのだろうと覚悟していたのですが、

明るくて坂の傾斜もそれほどきつくはありません。

途中、公衆トイレがあり、タクシーがたくさん止まっています。人通りも多くあります。

こんな名前がつくほどなので、昔はきっと、漆黒の暗さだったのでしょうね。

住宅街に溶けこんだ美術館

東大の門を通りすぎると、美術館が見えてきます。

そこまで大きな建物ではないので、気を抜くと通り過ぎてしまいそうなほど、住宅街に溶けこんでいます。

竹久夢二美術館です。

お隣には、弥生美術館があります。

カフェもよさげですね。今度行ってみたいです。

高畠華宵のコレクションが3000点も所蔵されているという、弥生美術館。

とても雰囲気のある玄関でした。

ベイブレードxの「あんこクリーム寿司」

ここ何年か、子どもがベイブレードxにはまっています。

その影響で、大会に出かけたり、Youtubeで大会のライブ中継を見たり、新作ベイを手に入れるために奔走したりと、ベイブレードxの世界に少しだけ詳しくなりました。

そんなベイブレード大好きな子どもの誕生日にリクエストされたのが、アニメに登場する「あんこクリーム寿司」。

まじかいと思いながらも、子のリクエストならばと、作ってみました。

「あんこクリーム寿司」のつくり方

わが家の誕生日の定番は、手巻き寿司とケーキ。

なので、酢飯と生クリームは使いまわせます。
「あんこクリーム寿司」を作るタイミングとしては、ばっちりでした。

酢飯をにぎり、その上にあんこをのせます。

あんこは、市販の缶詰のものを用意しました。

それから、生クリームをのせれば、完成です。

子どもは絞り口をつかってうねうねと絞ってほしかったようですが、面倒だったので、そっとのせました。許してもらえました。

肝心のお味は?

まずは子どもがひと口。「おいしーーー」と喜び、追加注文をかさねて、結局5,6貫は食べていました。

私もおそるおそるでしたが、食べてみました。

うん。

悪くない。

たしかに、生クリームあんぱんもあるし、おはぎもあるもんね。

「あんこクリーム寿司」も、ありかもしれません。

おはぎに生クリームのコクのある甘みと、酢飯の酸味が加わった感じで、クセになるおいしさです。

成長期の子のおやつにも

アニメの世界は、やっぱり侮れません。

「あんこクリーム寿司」とても美味しかったです。

成長期の子どものおやつにもいいなあ、と思いました。

漱石山房記念館の周辺さんぽ

漱石終焉の地にある、漱石山房記念館のあたりに行ってみました。

お庭は無料でぐるりとできる

開館前でしたが、お庭など、外をぐるりと回ることができました。

とても立派な記念館です。

銅像がありました。しゅっとしてますね。

「漱石の散歩道」と題した、とてもわかりやすい地図がありました。

かの有名な猫の墓

猫の墓も見ることができました。

『吾輩は猫である』のモデルとなった、猫のお墓なのだそうです。

十三回忌に建てられましたが、空襲で焼けてしまい、そのあと、また再建したものなのだとか。

お庭には、漱石が育てていた植物が、実際に植えられていました。

その植物が登場する、小説の一節を紹介している看板もあり、とても趣深いです。

芭蕉が、とてもきれいでした。

ところ狭しと植えられていて、管理が大変そうですが、どれもとても元気に育っていました。

静かに佇んでいる記念館

路地裏の、とても閑静な住宅街のなかにありました。

この地で、最期を迎えた漱石。
生まれた場所ととても近かったことに、少し胸があつくなります。

今度は、開館時間に行って、記念館のなかに入ってみたいなと思いました。

いざ夏目漱石生誕の地へ

先日、夏目漱石が生まれたという場所に行ってみました。

「夏目坂」命名したのは漱石の父

大通りを曲がり、坂を登っていくと、「夏目坂」の表記がありました。

『父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかも知れない。』
                     (「硝子戸の中」青空文庫より)

「ただの坂」とありますが、やはり「夏目坂」という名前が付いているだけで、とても特別な気がしてきます。

目印は、やよい軒

ただ、肝心の生誕地の碑がなかなか見つかりません。

漱石にちなんだ店名もちらほら見えるので、まちがいなくこのあたりだと思うのですが……。

坂を上がったり下がったしたあげく、ようやく見つけました!

どうやら通りすぎたあと、反対側を探していたようです。

大通りからすぐ、左手側、やよい軒の前にありあした。

「喜久井町」名前の由来は夏目家

夏目家はこのあたりの名主で、喜久井町という町名は、夏目家の家紋に由来しているそうです。

五男三女の末っ子として生まれた漱石は、生後まもなく里子に出されたり、その後も養子に出されたりと、苦悩も多かったようです。

だからこそ、生まれた土地に、強い思い入れがあったかもしれせんね。

晴れわたった空が、きれいでした。

芥川龍之介の旧居跡と、記念館の予定地と

1914年、北区田端に引っ越してきた芥川龍之介。

亡くなるまでの13年間を、この地で過ごしたそうです。

今日は旧居跡と、記念館の予定地に行ってみたいと思います。

赤紙いっぱいの阿吽像

不忍通りから道坂下を田端駅方面に行くと、まず東覚寺にたどり着きました。

立派な阿吽像に赤紙が貼られています。

自身の患部に貼ると身代わりになってくれるらしく、こうして赤い紙に埋もれているのだそうです。

一枚一枚に、参拝者の願いが込められているんですね。

童橋を渡ってみた

路地を抜けると小さな橋、童橋がありました。

この下は大通りになっています。

左端に見えるのが童橋です。

その橋のわきには細い道があって、なんだか面白い構造になっています。

河童の絵がいい

さて、やって来ました。

橋を渡り、最初に見えるのは記念館の建設予定地です。

令和8年度の開館をめざしていて、今はクラウドファンディングで協力を募っているようです。

書斎の再現を計画されているとのことで、とても楽しみですね。

そのすぐ先に、旧居跡の看板がありました。

今はマンションになっていますが、看板があるのがうれしいです。

河童の絵に、気持ちが盛り上がります。

文士村記念館の展示がすごい

さらに田端駅のほうに進むと、田端文士村記念館があります。

芥川の住んでいた時代、近くに東京芸大などができたこともあり、田端にはたくさんの芸術家が集まっていたようです。

室生犀星など、芥川龍之介に魅了された人々も多くここに住んでいました。

文士村記念館には、芥川の生涯が貴重な資料とともに丁寧に展示してあります。

しかも、無料です。

前回の展示企画『友情からうまれたもの 文士村の青春アンサンブル』も、とても充実したすばらしい企画展でした。

今は、『作家・芥川龍之介のはじまり~書斎「我鬼屈」誕生までの物語』が、2025年2月2日まで開催されているようです。今度ゆっくり行ってみようと思います。

ゆったりとした田端の空気を、味わうことができました。

夏目漱石のお墓

夏目漱石のお墓は、豊島区の雑司ヶ谷霊園のなかにあります。

東池袋四丁目や都電雑司ヶ谷あたりが最寄駅のようです。

墓地が広い

護国寺の裏手にも墓地があり、最初まちがってそちらに行ってしまいました。

日暮れのころに行ったので、なんとも言えない緊張感がありました。

猫がいたよ

実際は写真よりもうす暗く、墓石の文字もよく見えないくらいでした。

霊園内はとても広くて迷子になりそうですが、グーグルマップを頼りに、漱石のお墓を目指します。

猫がたくさんいました。4匹見ました。

どの猫もとても落ち着いていたので、ここを住処にしているようです。

お墓にはかなり近づいてきたと思うのですが、なかなかたどり着けません。

道が細く、暗いので、けっこうどきどきしました。

ひと目で分かる

ようやくありました。とても立派なお墓です。

お花が供えられています。ちょうどお参りをしている女性もいらっしゃいました。

霊園に入ってから人の姿を見ていなかったので、少しホッとしました。

左端に看板も立っています。
QRコードを読みこむと、漱石山房記念館の「漱石の生涯」のページに飛びました。

いちょう通りを通ればよかった

墓地内をくねくねと進んでようやくたどり着けましたが、結果的に、漱石のお墓はまあまあ大きな通り、いちょう通りのすぐ横にありました。帰りはその道で帰りました。最初からいちょう通りを行けばよかったと思いました。

でも、あの独特の雰囲気も味わえたし、猫にも会えたので、それはそれでよかったです。

何より、お墓の前で手を合わせることができて、とてもしあわせな時間でした。

根津神社の「文豪の石」にすわってみた

徳川五代将軍の綱吉が、六代家宣のためにつくったという根津神社。

その境内に、その名も「文豪の石」という名跡があるので、さんぽしてみました。

歴史を感じる空気感

新坂沿いの鳥居からはいります。

なんとも立派ですね。

一歩足を踏み入れるだけで、おごそかな、神々しい気持ちになります。

いきいきとした木々の大きさや豊かさに、圧倒されました。

漱石や鴎外が思案したという「文豪の石」

看板などはないので、気づかずに通りすぎてしまいそうですが、この石が「文豪の石」のようです。

漱石や鴎外が、ここにすわって思案していたとのことです。

石のひんやりとした温度と、ちょうどよい高さが、なんとも心地よかったです。
眺めにも広がりがあり、たしかに心に静寂がおとずれるような、落ち着ける場所でした。

家宣の胞衣が祀られている

胞衣とは、胎児を包んでいた膜や胎盤のことで、「ほうい」や「ほうえ」、「えな」などと読むそうです。

むかしは、それを壺や桶におさめて祀っていたとか。今聞くと少しぎょっとしますが、そうして新生児の無病息災を祈願していたのだそうです。

綱吉の、甥の家宣への想いが伝ってくるようですね。

木々の深さに癒される

この日は、保育園児たちが遊びにきていたり、外国人観光客が参拝していたりと、とてもなごやかな雰囲気でした。

東京大学のすぐ裏にある根津神社。

漱石や鴎外が、怒涛の日々の合間にしばしの落ち着きを得にきていた、大事な場所だったことが想像できました。